2021/12/20 (更新日:2022/05/09)

なぜサッカーを応援するのか?~トレーナーとしての原点~

お知らせ

いつもブログをご覧頂きありがとうございます。
 
サッカー経験者でない私がなぜサッカーを応援するのか?
 
不思議に思う方もいるかも知れません
 
僕がサッカーを応援するようになった理由には3人のサッカー選手の影響があります。
一人はサッカー元日本代表 岩本輝雄さん
一人はソニー仙台、グルージャ盛岡でプレーしたアンダー17元日本代表 橋本淳さん
 
そして今回、紹介する今北威史くんです
 
今回は私個人のブログに書いたものをここに再掲載させて頂きます。
 
いつも整骨院の中ではプロとして明るく振る舞ってますが、こんな背景があって
施術に取り組んでいる事を知って貰えたらと思います。
 
 
トレーナーとして忘れてはいけない出来事… 
先日ふと仕事中に彼の事を思い出し、スタッフと話してる時に言葉がつまり涙が出そうになりました…
 
そして僕の中で今北威史という名前が薄くなっている自分にショックを覚えました…
 
人の記憶というのはなんて無責任なんだろうと思います。
 
昔書いたブログもインターネットの世界から消え
『今北威史』
と検索しても写真すら出てこない事に時間の経過を感じます。
 
なのでもう一度
 
この機会に話す事とします
 
20年以上前になるでしょうか・・
当時、僕は24か25歳だったと思います。
 
宮城県多賀城市にある『金澤接骨院』に勤務しながら、北仙台のスポーツクラブのインストラクターの
アルバイトを掛け持ちして働いていたんです。
金澤接骨院はJFLソニー仙台のトレーナーを務める院で、サッカー選手が沢山くるような治療院でした。
 
ある時、接骨院の方に足首のケガで来院したサッカー選手がいました。
 
名前は今北威史
 
話を聞くと仙台育英からソニー仙台に入団。
プロサッカー選手の夢を追いかけ、ソニーを退団しドイツに渡りオット・ブロン入団も足首のケガで
帰国していたと記憶しています。
 

 

彼と話をすると足首の痛みが取れず、とても焦っていたのを覚えています。
 
そしたらバイト先のスポーツジムにふらりと彼が現れたのです。
 
聞くと自宅が北仙台にあるという事で、このジムに来たとの事だった。
 
接骨院では当時、僕もペーペーだったので、あまり話せなかったけどジムでは色々な事を話しました。
サッカーへの想い、プロへの想い
 
あまり話すイメージはなかったけどプロサッカー選手になるという話の時だけは
声のトーンが違ったのは覚えています。
 
そして僕達はジムのアルバイトの前に二人でトレーニングをする事になったのです。
 
サッカーの事はわからないながら本屋で出来る限りサッカーのトレーニングの本を
買い占めて一緒にトレーニングしました。
 
 ただこの時思い出すとすでに違和感はあったのです…
 
彼がトレーニング開始より早く来てトレーニングを行なっている事に…
 
『早く来たので先やってました』
 
当時はそんな彼を頼もしく思っていました。
 
そして足首の治療とトレーニングを併用していく中で…
水戸ホーリホックの練習に参加する事が決まったのです!
 
2-3週間後に練習参加を控えた今北君はテンションも上がっていました。
それと同時に足首の痛みも抱えたままでした。
 
そして水戸ホーリーホックの練習に参加しに彼は仙台を後にしました…
 
これが彼との最期になりました…
 
それから数週間後のある日
確か雨の日だった記憶が…
北仙台駅前でお葬式をやっている事に気づき足を止めました
 
そこには
 故 今北威史 
と書かれていました。
 
僕は事実がよくわからず混乱しました。
 
彼は水戸で頑張ってるはずじゃ?
 
後日、わかった事ですが彼は水戸での練習中に倒れて亡くなったそうなのです。
死因はオーバートレーニングシンドローム
つまりトレーニングのし過ぎ…
23歳
あまりに厳しい現実でした…
 
『人って死ぬんだ…』
 
この虚無感は本当にしんどいものでした…
 
ソニー仙台の選手は仙台育英OB以外は葬儀に入れずと聞きました。
 
この経験は本当に衝撃的に僕の心の中に残っています。
 
ちなみに当時、個人的に書いたブログを読んだ
お父さんから後日、直接メールをいただきました。
そこには息子が亡くなってから初めて泣いたと書いてありました…
そして妻には今でも威史の話題は家では出来ないと書いてありました…
 

 

好きで始めたサッカー
結果、サッカーで命を落とす…
 
こんな切ない事はないです…
 
 僕はひと月ちょっとの付き合いでしたが、今でも何か出来たのではないかと思う時があります。
 
例えば安静時の心拍数を毎回、測定して肉体的疲労と精神的疲労の見分け方の目安を伝えていれば
違う結果になっていたのではないかと思っています。
 
活躍する事も大事だけど、選手として全うさせて無事引退させる事も
トレーナーの仕事なのではと強く感じた出来事でした…
 
ちなみにこの二枚の写真は数年後にブログを見た
今北君の弟から貰った写真です
 
弟も家ではお兄さんの話は一切出来ない事と幼くて兄の事を憶えていなくて、
少しでも兄のことを知りたくてと僕を訪ねてきてくれたのです。
 
 
今の御時世トレーナーってカッコイイ
 
みたいな仕事かもですけど、本当はとても泥臭いものです。
 
この経験があるから今北君の叶えられなかった夢を、子供達に繋いでいきたい!
 
そんな想いで仕事をしています。
これがトレーナーとしての原点です。
 
そして心の奥にフタをしてある出来事です。
 
あれから20年経つのかな…
たまに記憶が薄れる自分に腹が立ちます
彼の事を忘れそうになる自分に腹が立ちます
 
だから敢えて書き留めておく事にしました。
『本気で夢を追う』
 
この原点に僕ももう一度向き合おうと思います。
 
そしてこれを読んだ方の中に『今北威史』というサッカー大好き少年がいたという事を知って頂けたら幸いです。
 
彼が元気なら今何歳かな?
 
今でもたまにそんな事を考えたりします…
 
ご一読ありがとうございました。

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